
01 第4話『鏡』 あらすじ
異国の特使が上級妃4人に献上したのは、希少な玻璃製の大鏡だった。華やぐ翡翠宮のなか、猫猫はその贈り物の裏にある意図を感じ取る。そんな折、高順から「密室で暮らす姉妹の妹が仙人の子を宿した」という奇妙な相談を受ける。鏡と屋敷の構造をもとに、猫猫は不可能に思えた謎を解き明かしていく。一方、壬氏は「祖父が見た“月の精”に会いたい」という特使の願いに頭を抱えるが、その踊り子の正体は意外な人物だった。やり手婆の語る過去と一枚の絵が、静かに後宮の記憶とつながり始める――。
02 ネタバレ
後宮に異国の特使がやって来た。ブロンドの髪にヴェールを羽織った女性が二人、並んで座っている。そのうちの一人が立ち上がり、高官らしき人物の部屋に入り、密談を交わしていた。
翡翠宮では、特使からの貢ぎ物である姿見を囲んで、侍女たちがはしゃいでいる。
その姿見は**玻璃(はり)製だそうだ。玻璃製の鏡は製造が難しく、西方からの輸入品しかないという高級品である。もし割ってしまったら、極刑になりかねない。
すると、侍女の貴園(グイエン)が「以前、玻璃製の手鏡を桜花が割ってしまったからね」と、過去の話を蒸し返す。猫猫は(内心で)「主が寛容なお方で本当に良かった」**と思う。
大きな姿見を前にして、猫猫はその構造に興味津々だ。国で量産できれば、ひと儲けできるかもしれないと考える。
玉葉妃が「これは異国の特使からの献上品なの」と話す。そういえば、やぶ医者が特使が来訪すると言っていたことを、猫猫は思い出す。
姿見は、上級妃4人全員に贈られたらしい。あの大きな姿見を4枚も運ぶのは、かなりの手間だったはずだ。ここまでするのは、相当な大商談を持ちかけるためかもしれない。
翡翠宮に高順が、猫猫を訪ねてやって来た。珍しく一人での訪問だった。
「猫猫の意見を聞きたい」とのことで、紅娘も同席して話を聞くことになった。
高順は「困っている知人の話だ」と前置きし、不思議な話を語り始めた。
-「とある良家に、歳が近く、よく似ている姉妹がいました。両親に愛され、過保護に育てられており、一人はもちろん、二人でも外出は許されず、監視役の侍女までつけられていたそうです。
年頃の姉妹を不憫に思った侍女が、時々こっそり外に連れ出すこともありましたが、それが父親に知られてしまい、部屋の外にさらに監視役の下男を置かれ、夜間には鍵をかけられて外に出られないようにされてしまったそうです。
内向的な姉妹は、一日中部屋の中で刺繍をして過ごしていました。
しかし、ある時、妹の妊娠が発覚します。姉は『仙人の子を身ごもった』のだと語ったのです。」
ありえない話だった。侍女が再び外出させたのではと考えられたが、最初に外出を許した侍女はすでに解雇されていたという。新しくついた侍女は、姉妹と接触する機会自体が少なかったらしい。
紅娘が「では、監視役の下男と…」と口にすると、高順は「下男は部屋に近づくことを禁じられていました」と返す。
確かに困った話だが、「私の領分ではない気がします」と猫猫は言う。しかし、「ただ」と続けた。
殿方に会わずに身ごもる可能性として、実際に子が宿ったのではなく、体が妊娠したと“錯覚”を起こす「想像妊娠」の例を挙げた。
かつて、妓女が「好きな男の子どもを身ごもった」と言い出したことがあったという。実際に月経が止まったり、胸やお腹が張ってくるなど、思い込みが身体に影響を及ぼすのだそうだ。
「その妹は本当に妊娠していたのか?」と猫猫が尋ねると、高順は「え、まあ…そういうことにしておいてください」と歯切れが悪い。
高順いわく、問題は“厳重な監視の目を盗んで妹が部屋を抜け出すことができたかどうか”だという。
そこで、姉妹の監視体制を猫猫が確認するため、高順が持参した屋敷の見取り図を広げる。
姉妹は屋敷の北側にある離れの部屋に閉じ込められていた。本宅とは、西側の渡り廊下でのみ行き来が可能。他に出入口はなく、厠も部屋内に設置されていた。
部屋は南北に2室あり、北側の部屋には窓がなく、南側の部屋には南と東に窓がついていた。その窓は、南側を本宅3階から、東側を1階から、それぞれ別の下男が監視していたという。
それだけ離れていれば、部屋の中まではよく見えないのではないかという懸念もあるが、下男たちは「姉妹が窓辺で刺繍をしていた」ことを毎日確認していたらしい。
ここまで話を聞いて、猫猫は「これは本当に“知人”の話なのだろうか」と疑問に思う。
すると高順は、壬氏からの伝言を伝える。「約束の牛黄(ごおう)が遅れそうなので、お詫びの品です」と包みを差し出した。「そういえば、まだもらっていなかった!」と猫猫は思い出す。
包みを開けた途端、猫猫の顔が歓喜に満ちる。中身は熊胆(ゆうたん)だった。熊の胆嚢を乾燥させた、貴重な生薬である。
高順が「それで、何か気づいたことはありませんか」と話を戻す。
すっかり機嫌がよくなった猫猫は、先ほどの見取り図の南側と東側の窓の位置に木の実を置き、イメージを再現する。そして室内に“大きな鏡”があったと仮定して、「どうでしょう?」と問いかけた。
つまり、遠くから監視していた下男は、鏡に映った姉を“妹”と勘違いした可能性があるというのだ。よく似た姉妹ならばなおさらだ。
刺繍の模様も、だまし絵のような仕掛けだったのかもしれない。監視の目を窓辺に集中させることで、妹は西側の渡り廊下からこっそり抜け出すことができたのではないか。
異国の特使から献上された姿見──あれほど鮮明に映る鏡であれば、遠目にも十分ごまかせるだろう。
また、猫猫の養父が昔留学していた西方の国では、刺繍は上流階級の子女の教養でもあるらしい。
高順は「良家の子女の話」と言っていたが、果たしてどこまでが本当なのか。異国のスパイを客人として迎えざるを得ないこともあるのだろう。
だが、これ以上深入りはしないと決める猫猫。
高順が去ったあと、もらった熊胆に頬ずりしながら、何を作ろうかと胸をときめかせるのであった。
「真珠の涙を流す絶世の美女ですか?」
高順が聞き返す。
執務室では、壬氏が頭を抱えていた。
どうやら、特使の接待を担当している高官から泣きつかれたらしい。
「だからといって、わざわざ仕事を増やすことはないでしょう」と、高順が苦言を呈す。
「高価な姿見の献上といい……特使たちは、いったい何を考えているんだ」
壬氏はため息まじりにぼやいた。
翡翠宮に壬氏がやってきて、いつものように猫猫が呼ばれた。
「薬屋、真珠の涙を流す絶世の美女の話を知っているか」
壬氏にそう問われ、猫猫は(目の前にいますよ)と胸の内で答える。
壬氏の話によれば、その“真珠の涙を流す絶世の美女”とは、月の精を思わせるような美しい女性で、彼女が舞えば祝福の光をまとい、流す涙は真珠となって零れ落ちたのだという。
その美女は、かつて花街の妓女だったらしい。
西方からの特使は、幼い頃からこの伝説を聞かされて育ったそうで、ぜひその美女に会いたいと強く願っているという。
だいぶ昔の話だと思われるが、大切な外交相手の要望である以上、できるだけ応えたい——ただ、その人物が生きているかどうかさえ分からない。壬氏はそう付け加えた。
「50年前。花街の踊り子、月の精……」
猫猫の脳裏に、ある人物の姿が思い浮かんでいた。
「―生きてますよ」
思いもよらぬ答えに、「本当か?」と食いつく壬氏に、猫猫はあっさりと返す。
「壬氏様も会ったことがありますよ、花街で」
記憶にない様子の壬氏に対し、猫猫は淡々と続ける。
「緑青館のやり手婆ですよ」
壬氏と高順は、「ああ……」と、なんとも言えない声を漏らす。
「やり手婆なら、金を積めばすぐに応じるでしょうが、なにせ50年前の話です。代わりの美女を用意してはどうでしょうか?」
だが、すでに選りすぐりの美女を揃えて宴席を設けたものの、特使は満足するどころか、なんと嘲笑したという。
そこで猫猫は尋ねる。
「美女たちに夜の接待はさせたのですか?」
返ってきたのは、意外な答えだった。
「特使は、女性です」
―ああ、だから壬氏様に話が来たのか。
猫猫は妙に納得した。
誰よりも美しい容姿、性別は男(※一応)、そして女性を夢中にさせる逸材――それが壬氏だ。
だが、それゆえに、面倒が起きる可能性もある。
相手の女性が本気になり、夜伽を求められたところで、肝心の「使えるもの」がない。
特使という立場上、軽率な行動には出ないだろうが、あらかじめ距離を取っておくのが賢明だ。
今回の特使の国は、西と北の交易拠点を押さえており、先日の大規模キャラバンも、新たな交易の話を進めるためだった。
遠い異国では国際結婚が進み、美男美女が多いと聞く。
そんな国の人間が、やり手婆をして“月の精”と称したというのだから、もはや香に幻覚剤でも混ぜていたのではと疑いたくなる。
外交問題に頭を悩ませる壬氏に少し同情した猫猫は、後宮にやり手婆を呼び出した。
お茶も出されない待遇に文句を言うばあさんをなだめながら、猫猫は昔、異国の特使の接待をしたことがあるかどうかを尋ねる。
やはりそれは、50年以上前の話だった。
「―遷都したばかりで、新しい都には特使をもてなす場所がなかったんだよ。だから、当時使われていなかった遺跡を使うことになってね。そこには果樹園があって、その近くにきれいな池と建物があったさ」
そこまで聞いた猫猫は、以前キノコを調査した後宮の北側を思い出す。
―あそこには確かに荒れた果樹園があった。当時の宴席が、今の後宮内にあってもおかしくない。
やり手婆は話を続けた。
「そこで、踊り手の主役として花街代表になったのが、あたしさ。当時の花街で最上級の妓女だったからね。あたしを中心に、十数人で踊ったんだよ。選ばれた一番の理由は、たぶん体格だろうね。背が高くて、めりはりのある体だったから」
ただ、即興で作った舞台だったため、準備にはかなり苦労したという。
「月の満ち欠けまで計算して、宴席からの眺めが良くなるように障害物を取り除いたり、果樹園が近いから虫が多くてさ。事前に葉についた幼虫を一匹残らず駆除したのさ。それでも、かがり火に虫が寄ってきてしまってね……」
そこまでして準備したにもかかわらず、当日には嫌がらせもあった。
「当日、あたしの衣装に虫の死骸をこすりつけるような真似をするやつがいたんだよ。でも、そんなことで怯むあたしじゃない。布帛(ひれ)で汚れを隠して、最後までしっかり踊り切ったよ。結果は大絶賛さ。嫌がらせしたやつらは、悔しがってただろうね」
その話は、猫猫もこれまでに何度となく聞かされてきた。
だが、やり手婆がそのとき見せたのは、初めて目にするものだった。
彼女は、奥から一枚の額装された絵を取り出して見せたのだ。
猫猫は、その絵を一目見るなり、やり手婆がこの絵をどれほど大切にしているかを感じ取った。
描かれていたのは、幻想的な衣装に身を包み、月光を浴びて舞うような女性の姿。
やり手婆の説明によれば、これは当時の異国の特使が自国に戻った後、絵師に依頼して描かせたものだという。
“月女神”として――。
特使はその後、一度もこの国を再訪することはなかったが、わざわざキャラバンに託してこの絵を届けてくれたという。
なぜ、そこまで深く気に入られたのか――。
やり手婆本人にも、それは分からないのだという。
自分がどれほど美しかったとしても、「女神」とまで称された理由だけは、今もって分からない、と。
やり手婆から借りた絵を見ても、壬氏には「とりあえず似た人物を探す」くらいしか手が思いつかなかった。
正直なところ、やり手婆のような大柄な美女を見つけるのは容易ではない。
「せめて、大柄な女性にターゲットを絞ってはどうでしょうか」
猫猫がそう提案する。手足が長い方が、踊ったときに見映えがするという。
「彼女たちに匹敵するような大柄な美女は、そうそういない」
壬氏はため息交じりにぼやく。
「特使たちも背が高いですし、あまりに小柄な踊り子だと子どものように見えてしまうのでは」
高順の懸念に、猫猫は思わず問いかける。
「特使って、一人ではないのですか?」
「いとこ同士だそうです」
高順が答える。
なるほど──と、猫猫は納得する。特使が女性で、しかも容姿端麗だということは、壬氏の話ぶりから察していた。
となれば、相手を満足させられるような人物は限られてくる。
「身長175センチ以上で、特使の目も黙らせる美貌を持った人物」
条件を整理するうちに、猫猫の脳裏にある人物の姿が浮かぶ。
「…あっ」
「ん?」
「いました。とても適役な人物です。175センチ以上の美女、ですよね」
その言葉に、高順もピンときたようだ。猫猫と顔を見合わせ、ゆっくりとその“適役”の人物へと視線を向ける。
──壬氏は、背中に嫌な汗を感じた。
時を同じくして、帝は四貴妃の一人である楼蘭妃の閨(ねや)を訪れ、談笑のひとときを過ごしていた。
また、暗がりの中で、ひとりの女官が池のほとりの草むらにしゃがみ、植物を採取していた。上空に光を放ちながら蝶が舞い上がる。それを楽し気に見上げていたのは、子翠だった。
03 伏線と考察
異国の特使がもたらす“鏡”という贈り物に、ただの華やかさ以上のものを感じさせる回でしたね。
猫猫と高順の密室トリック解明も面白くて、まるでミステリーのような展開に引き込まれました。
やり手婆の過去話もどこか切なく、ひとつの伝説が静かに再び動き出すような、そんな余韻のあるお話でした。
今回気になった伏線ポイントは特使が4人の妃に贈った大きな鏡。どうやら単なる贈り物ってわけじゃなさそうです。実は、のちに出てくる“密室の謎”とつながってくる仕掛けの一部になっているんですよね。
また、良家の姉妹の密室妊娠の逸話ですが、このエピソードは単なる謎解きではなく、「鏡」「視覚トリック」「刺繍を使った心理誘導」など、後の展開への伏線なのではないかと疑ってしまいます。
姉妹のすり替え・錯覚・見せかけの演出という「目に見えるものの真実性」に対するテーマが、後の陰謀や仕掛けに直結しそう。
そもそも良家の姉妹とは、本当は誰のことなのか…。
そして最後の子翠が夜の草むらで植物採取をしていると思われるシーン。
一見、本筋とは無関係なシーンだが、何の植物だったのか?その目的は?
今後の環境設定のための布石なんでしょうか。
子翠は意図せず何かを知っている可能性もあるのでは…と先が気になって仕方ないですね!